カテゴリー別アーカイブ: 未分類

「通販生活」に伊藤比呂美さんとの対談が掲載されました。

新年あけましておめでとうございます!

NPO法人ペットライフネットも今年1月6日で設立2周年を迎えることができました。高齢者がペットと終生ともに暮らせる社会をめざして、遅々とではありますが着実に一歩を踏み出すことができましたのは、ひとえにみなさまの熱いご支援とご協力のおかげです。ほんとうにありがとうございます。
そして、今年もペットを飼う上で高齢者が抱えるさまざまな課題に取り組んでいきたいと決意を新たにしています。一層のご支援とご鞭撻をお願い申しあげます。

さて、年始早々、うれしいご報告をしたいと存じます。すでに「お知らせ」(「通販生活」の掲載ページをアップしています)で告知いたしましたが、2016年春号の「通販生活」に「60代からのペットとの暮らし方。」と題して、詩人の伊藤比呂美さんと私が対談した記事が掲載されました。
伊藤さんと。この対談の依頼を受けた際には、ほんとうに驚きました。「私でいいの???」と、幾度も自問自答しましたが、対談自体は伊藤比呂美さんの軽妙な話しぶりにすっかり馴染んで大阪弁そのままでたっぷり90分話し込んでしまいました。
対談後しばらくして、伊藤さんからメールをいただきました。「犬心」で描かれていたタケやルイを看取り、今はニコしか飼っておられなかった伊藤さんですが、「ペットのいのちの火を絶やさない」ために、シェパードレスキューセンターから新たにシェパードを引き取られたそうです。まだ人に馴染み切れずシャイだそうですが、古参のニコには心を許しているとのことです。
犬や猫を通して新しい知り合いが増え、ネットワークが築かれる。これこそ、動物がもつ素晴らしい力だと感激しました。

ところで、伊藤比呂美さんの「犬心」については、「ペットと一緒におでかけポータルサイト 299navi」に感想を書いています。今回、ここにも転載することにしました。ぜひ、読んでみてください。

◎「犬心」 伊藤比呂美著 (文芸春秋)

犬心伊藤比呂美さんといえば、「おっぱい」や「おしり」といった性や出産にまつわる言葉を連射的に繰り出し、独特の生死観を謳いあげる詩人として有名です。その伊藤さんが、14年間ともに暮らした愛犬タケ(ジャーマンシェパード)との最期の日々を綴ったのが、この「犬心」です。
若い頃は、「強くて大きくて、なんでもできた」タケが大好きな散歩を嫌がりはじめ、ついには歩きながらうんこを「ぽろりぽろり」。一日中、無表情で寝て暮らすようになります。そんななか、伊藤さんが長旅にでて戻ってきたシーンが次です。

「タケはたしかにがっくりと老いていた。でも気になったのは、タケの老い方よりも家の荒れ方、いや荒れ方といっても、無人のあばら家みたいなふうでない。現に人は住んでいる。ただ、何もかも犬仕様で、犬仕様ということは動物の巣穴のようで、人間の生活は二の次になっているのだ。
なにより、おしっこ臭い。たまらなく臭い。」
「家の中にはいたるところヨガ用マットが敷きつめてある。(中略)おしっこ用マットじゃないとわかっているタケも、外に出るのが間に合わずに、その上でじゃーっとおしっこを振りまいていく。
くり返すが、タケにはこれがおしっこマットじゃなく、すべりどめであることがちゃんとわかっている。それで、床板ですべることがないように、念には念を入れて、マットとマットの隙間を飛び越えようとする。(中略)タケは飛びそこねて転ぶのだ。転んだときの、タケの無力な姿勢、悲しげな表情、救いのないもがき方、父がのりうつったみたいに父に似ている。
父が死ぬ二日前は、ずっとこんなふうだった。私は、父がもうすぐ死ぬなんて考えずに、ただ粛々とこんなふうに父のからだを抱えて、何度もだき起こした。もっと抱えることができた、タケをこうして抱えてやれるのだ、父のことももっと抱えてやればよかったと、詮ないことを考えながら、私はタケをだき起こす。」(第6章「タケの恋―私は旅にでていた」より)

鋭い観察眼でタケの老いる姿が容赦なく描かれています。しかも、このタケに父の老いを重ね合わせながら、老いることの残酷さ、切なさを全身で受け止め、抱きしめてしまおうとする伊藤さん。精一杯生きてきたタケ、そして父への愛おしさが胸を打ちます。生き物にとって避けることのできない「死」とは何か、ひるがえって「生」とは何かをあらためて考えさせられます。

ところで、伊藤さんのお父さんは亡くなるまで、ルイという11歳のパピヨンと一緒に暮らしていました。
「寂しい寂しいと訴えていた父が、『夜中にルイが寄りかかってくる、その重みと温もりだけが
たしかなんだ』と何度も言った。」(第6章「タケの恋―ルイの感情、ニコの感情」より)

ルイは伊藤さんが父母2人だけの侘しい暮らしを考えて、押し付けた犬です。3年後にお母さんが他界。その後はお父さんとの1対1の生活ののなかで、お父さんから美味しいものをたっぷり食べさせてもらって、まるまる顔の肥満犬になってしまった。てんかんの持病に心臓、すい臓も悪い。そんなルイは、お父さんの死後、伊藤さんとの暮らしにスムーズに適応し、お父さんを忘れていたかのように見えた。ところが、たまたま老人ホーム行く用があって、入り口にルイをつないでおいたら、杖をついた老人がでてきてルイにかまい、クルマに乗り込んだ。その時、いつもは大人しいルイが後を追って吠えたといいます。
高齢者にとって犬や猫の存在は、「食べること」「寝ること」「遊ぶこと」といった「生きる歓び」を実感するかけがいのないものであることがひしひしと伝わってきます。

(吉本 由美子)

うちの子になってくれてありがとう。

「うちの子になってくれてありがとう。」

ほぼ毎日、私がうちの猫にかけている言葉です。

ズラちゃん(♀、推定8歳以上)が来てくれてから、私達夫婦の生活は猫中心になり、猫からたくさんの幸せな時間をもらっています。

ズラちゃんがうちの子になった経緯はちょっと変わっています。

出会いは2008年8月、ちょうど7年前です。081125_1918

我が家の道を挟んだ向かいに、老朽化のため取り壊し予定の社宅がありました。次々と住人が立ち退いてゆく中、最後まで残っていた男性が、猫に餌付をしていたため、住人無き後、そこには数十匹の猫たちが勝手気ままに暮らしていました。しかし、いよいよ取り壊しが近づくと、餌付をしていた男性も去り、猫たちも1匹、2匹と居なくなっていきました。きっと、たくさんの猫たちの中でも要領が悪くて、他の猫たちが食べ残した餌をこっそり食べていたと思われるうちの子は、初めて会った時、子猫かと思うほど小さくて貧相、柄もカツラに鼻水という、お世辞にもかわいいとは言えない猫でした。

しかし、お互い何か感じるところがあったのか、大人しくて控えめな性格ながら、他の猫に襲われないよう、毎日、停まっている車の下で私の帰りを待っていました。そのうち、私の後を追って道路を渡り(これは猫には勇気のいる行動らしく、他の猫は道路の手前で立ち止まり、渡ってきませんでした)、我が家に遊びに来るようになりました。2時間ほど我が家で過ごし、その後ねぐらに送っていくという生活を3ヶ月ほど続けるうちに、時々泊まっていくようになり、夫もとうとう「うちの子にしようか」と言いました。

犬も猫も飼った事のない夫にとっては、初めて飼うペット(ハムスターとインコは飼っていたそうですが)、猫は幼稚園の時に一度飼っただけで、その後ずっと犬派だった私。2人ともほぼ初めての猫との生活でしたが、ズラちゃんがとても賢くて、手のかからない子だったこともあり(それは、後々猫を飼っている人から聞いて分かったことですが)、2人と1匹の生活は問題なく今日に至っています。

ズラちゃんが手のかからない猫だと分かったのは、

①毛玉を吐かない(舐めた毛はどこにいっているのか?)。zura2(PLN)

②ケージなしでお出かけでき、車の移動中も私の膝の上で大人しくしている。最長5時間の車移動にも耐え、気持ちが悪くなると、ニャっと小さく鳴いて、休憩時を知らせる。

③キャットフードもいっきに食べず、自分で体重管理をしており、我が家に来た時から0.2キロしか体重が増えていない(現在2.6キロ)

③人間の食べ物を欲しがらない。食事時もそばで大人しく寝ている。

④人間に遊んでくれとせがまない。猫じゃらしも猫用おもちゃも興味なし。ペットボトルの蓋や消しゴム、ボールペンが大好きで、それらを見つけると、夜中に1人で遊んでいる。

とは言え、実はとてもさみしがり屋の甘えん坊で、お留守番が大の苦手です。

私が帰るといつも玄関まで出迎えに来てくれますが、ちょっと帰りが遅くなると、扉を開けたとたん、遅いよ~と言わんばかりに扉の前で待っています。

私がお風呂やトイレに入ると、ドアの前で待っていて、ベッドに入るときも一緒です。

しかし、朝起きて餌をやるのも、トイレのそうじも夫がしているのに、なぜか夫には玄関へのお出迎えもお風呂やトイレの待ち伏せもなしです。このツンデレがますます夫の気持ちをかき乱すようで、仕事上の取引先担当者にもズラちゃんの写真を見せ、「可愛いですね~」(先方は言わざるを得ないと思いますが)と言われたとご満悦で、最近ではズラちゃんの柄は黄金比率などと、親バカっぷりを発揮しています。zura(PLN)

よく、猫を飼うと人生が変わると言いますが、私の場合も例外ではありません。私生活ではもちろんのこと、仕事の面でも猫を飼っていなかったら出会わなかったであろうことがあります。その最たるものが「わんにゃお信託」です。

私の仕事は行政書士で、主に相続や公正証書遺言の普及に力を入れています。その中で、自分が亡くなった後、ペットのことを心配される方から相談を受けたことをきっかけに、「わんにゃお信託」と出会いました。もし、ズラちゃんを飼っていなかったら、その相談者の言葉も今ほど重く受け止めていなかったかもしれません。

なんの備えもせずに飼い主が亡くなった場合、残されたペットはほぼ殺処分されます。終活という言葉が定着してきた昨今ですが、その終活のなかにペットのための備えも加えて欲しい、ペットに資産を遺す方法があるということを知ってもらいたいと、出会う人ごとに説明しています。今ではペットの行政書士さんと呼ばれることもありますが、自分が猫を飼っていなかったら、ここまで真剣に遺されるペットのことを考えることはできなかったと思います。

これからも、公私ともにペットと関わり、幸せなペットが増えるお手伝いをしたいと思っています。

(山本 光子)

残された方のためにも、公正証書で遺言を!

司法書士の木村貴裕です。ペットライフネットはペットを飼うまたは飼おうとする高齢者支援を目的としていますので、今回は高齢者ご本人に関する話を少ししたいと思います。

「終活」。今では「しゅうかつ」からきちんと変換されるほどの言葉になってきています。ごく簡単にいうと残される者のために生前にきちんと準備をし、ご本人が安心して余生を過ごすための行いという意味でしょうか。それらに関連して、書店や文房具売り場には、エンディングノートや遺言というタイトルもよく目にします。
終活の中でも重要なものとしてよく取り上げられるのが遺言をすること。私たちの業界では流行りと言って良いのかどうかわかりませんが、数年前から書籍の出版やセミナー講師などをされている方も多く、相続や遺言などに関する知識もかなり一般的になっていると思います。
ですので、これらの話をするのは正直今更という感じなのですが、まだまだ広く知れ渡っている知識とまではなっていないと感じることが最近もありましたので、あえて取り上げたいと思います。
取り立てて奇をてらった話は今回はしませんので、よくご存じの方には申し訳ありませんという内容です。

まず、遺言そのものについて少し。法的にどうこうという話ではありませんが、よく耳にするのが、「縁起でもない」という言葉です。「遺言書なんてものを作ったら早く亡くなる。」とか。
後者は根拠はありませんし、そもそも遺書と遺言がごっちゃになっているような印象を受けます。遺言は、先に述べたようにこれから安心して過ごすためにするものと言っても良いでしょう。

遺言をする方法はいくつかありますが、なんと言っても公正証書でするのが一番です。 この記事を書くにあたって「遺言をする」か「遺言書を作る」か、どちらで表現するほうが、読んでいる方に伝わりやすいのかで悩みました。なぜなら、遺言をするとは、法律上の形式にのっとってしなければならないからです。
例えばビデオレターのようもので意思表示をしたものを作りましたでは法的に遺言をしたとはいえません。思いを伝える手段としては有効かもしれませんが、遺言は形式が重要視されるものですので、その点では公正証書でするのが一番間違いがありません。思いを伝えることはできたとしても、形式に不備があればそれが実現できなくなります。

誰でも遺言はしておくのが良いのですが、とりわけ次のような方たちは重要になってきます。
一番は、ご夫婦の間に子どもがいらっしゃらない場合です。
この場合、一番多いケースでは、法定相続人に「残された配偶者」と「亡くなった配偶者のご兄弟」がなります。例えば、残さ親族の範囲れた配偶者が現在も住んでいる家を相続し登記名義を変更しようとしても、亡くなった配偶者のご兄弟と協議したり、その方たちから印鑑証明書や実印を押した書類をもらわなければなりません。
亡くなった配偶者のご兄弟が近くに住んでいて行き来もあり、気持ちよく協力してくれたなら良いのですが、遠方であったり、疎遠であったり、場合によっては行方がわからないなどであったならかなり面倒なことになります。
登記名義人である亡くなった配偶者が、その財産を残された配偶者に相続させるという遺言をしておいてくれたなら、こんなに苦労せず結構簡単な手続きとなったはずなのにのになぁと悔やまれるケースを、不動産登記の専門家である司法書士としては本当によく目にします。

そのほかにも、相続人ごとに特定の財産を相続するように指定したい、法定相続人でない人にも財産を分けたい、内縁の配偶者に財産を残したいなど、遺言をしておくべき場合が多々あります。
また、近年では信託(特に民事信託)などを活用して、より多様な形で次世代に財産を渡すということも考えられています。

これらの話はそれこそ書籍が一冊できるほどのボリュームがありますので尽きないのですが、今回はここまでにしたいと思います。
最後まで読んでいただき有り難うございます。参考になりましたでしょうか。この内容が少しでも考えるきっかけになれば幸いです。

(木村 貴裕)